日本は学歴社会か?
大卒と高卒の生涯所得の「真実」
日本は学歴社会だとする見方が多い。その根拠は、学歴によって生涯所得に大きな差があることだ。賃金構造基本統計調査によると、高卒と大卒で年収に100~150万円程度の差がある。
40年余り働くとして、生涯では4000~6000万円程度の差が生じる計算だ。退職金や年金の差を考えれば、差はもっと大きくなるだろう。
こうした認識に基づいて、どんなに無理をしても大学進学すべきだとの意見や、学歴がないと、いくら実力があっても安い給与に甘んじざるをえないのは不公平だから、実力主義の報酬体系に移行するのが望ましいという声がよくあがる。
だが、このような事実認識は適切なものだろうか。
まず注意すべき点は、賃金の違いをもたらす真の原因が、本当に学歴なのか否かだ。
大卒でも大企業に入れないと賃金が低い
賃金の差の要因は企業規模も大きい
日本では、大企業と中小零細企業の間で賃金水準に著しい格差がある。
令和5年賃金構造基本統計調査によれば、従業員1000人以上の大企業の賃金(きまって支給する現金給与月額)は38.3万円であり、従業員10~99人の零細企業の31.4万円の1.22倍だ。
これは全企業での大卒(39.8万円)と高卒(31.2万円)の比1.28とあまり変わらない。
給与水準を決める要因として、学歴と企業規模のどちらが支配的なのか?
可能性としてはどちらも考えられる。したがって、小企業で働く大卒者と、大企業で働く高卒者のどちらの給与が高くなるかは、一概には言えない。
そこで実際のデータをみることにしよう。図表1は、零細企業(従業員10~99人の企業)における大卒者と、大企業(従業員1000人以上の企業)の高卒者の賃金を示す。
図から明らかなように、両者の賃金は59歳まではほとんど変わらない。
大学を卒業しさえすれば、高卒より高い給料が得られるというのは、幻想でしかないことが分かる。
大卒であっても、大企業に入れないと高い所得を期待することはできない。その意味で「日本は学歴社会でない」と考えることもできる。これは、ある意味でショッキングなことだ。
大卒で遅れた働き始めの所得の差、
賃金が高卒より高くても取り戻すのは40歳代の半ば
とはいえ、平均して見れば、同一年齢で大卒者の賃金が高卒者より高いことに違いはない。では、賃金差をもたらす原因を考慮せず結果だけを見た場合に、大学進学は経済的に割が合うものになっているだろうか?
図表2で、A、B欄の数字は、賃金構造基本統計調査のデータを年収に換算し、学歴別、年齢別に示したものだ。(2022年、全企業)。これは「決まって支給する現金給与総額」であり、ボーナスなど含まれていない。
ここで賃金構造基本統計調査のデータは、働いた場合の平均賃金の年間の合計だと解釈し、高卒は18歳から、大卒は22歳から、その賃金を得ると仮定しよう。
C欄の数字は、この仮定に基づいて計算した大卒と高卒の年収の差を、年齢階層ごとに合計した結果だ。例えば20~24歳階級では、大卒者は、前半の2年間は働いていないので高卒者の賃金に対してマイナス、後半の3年間がプラスになる。
C欄の数字の累積値をD欄に示す。この数字は最初はマイナスになる。これは、大学在学中に働かなかったことによる逸失所得を表わしている。
D欄の数字がプラスに転じるのは、40代の初めだ。したがって、仮に無利子で逸失所得分を借り入れることができるなら、40代初めに高卒との賃金差で完済できることになる。
D欄の数字は、その後は増え続け、70歳以上では4500万円を超える。最初に、学歴によって生涯で4000~6000万円程度の差が生じると書いたが、ほぼそれが裏付けられるわけだ。
大学進学のコスト、無利子だと
賃金差で取り戻すのは50代半ば
ただし大学に進学し、卒業するまでにはコストがかかる。
大学進学に要する費用としては、まず学費がある。「国公私立大学の授業料等の推移」(文部科学省)によると、年間授業料は国立大学で53.6万円、私立大学で93.1万円だ(2021年)。また、親元を離れて一人暮らしをすれば家賃や生活費がかかる。大学進学のために私立の中学高校や塾に通えばさらに費用がかかる。
こうしたことを考慮して、進学必要費用を1000万円と考え、かつ無利子融資を利用できると仮定するとどうなるか。
D欄の数字は、50代の始めに1000万円を超える。
したがって、仮に大学に進学するための費用が1000万円であれば、これを借り入れで賄い、高卒との賃金格差で返済すれば50代中頃に完済できることになる。
つまり大学進学のコストは50代の中頃までに高卒との賃金差でそれを取り戻せることになる。ただし、50代の中頃は、子育ての期間も終わり子供が大学を卒業するような頃だ。この頃まで自分の大学進学の費用を返済できず、退職を意識するようになって、やっと完済できるということになるわけだ。
つまり、教育を投資と考えれば、それは回収期間が極めて長い投資だと言わざるを得ない。
大学進学のコスト、利子を考慮すると、
一生かかっても進学費用を取り戻せない
しかも現実はもっと厳しい。なぜなら、無利子融資は存在しないからだ。
貸与型奨学金や政策金融公庫の「国の教育ローン」は、利率は低いが額に限度がある。したがって、大学進学費用を借り入れでカバーするには、民間の金融機関による教育ローンを利用せざるを得ない。その金利は2%から3%程度のものが多い。
こうしたローンで借り入れをした場合に、どの時点で完済できるかを調べるために、C欄の割引現在値をE欄に示した。ここで割引率は3%とした。
そして、Eの累積値をF欄に示した。この場合には、累計値がプラスに転じるのは50歳代前半だ。つまりこの時点になるまで、逸失所得を取り戻すことができない。
そして、累積値は生涯を通じて1000万円には達しない。つまり、大学進学のために1000万円が必要で、それを金利3%のローンで賄ったとすると、高卒との賃金差だけでは完済できないことになる(生活費を切り詰めれば返済できるだろう。「高卒との給与差だけでは返済できない」という意味である)。
さほど有利でない教育投資
大学教育の価値はかくも低い!
実際には70歳以上で働く人は少数なので、69歳までを見れば、大学に進学することの価値は700万円程度でしかない。学歴による生涯賃金の差は4500万円を超えると書いたが、、それとは大きく違う結果になってしまうわけだ。
以上の結果を見ると、複雑な気持ちにならざるを得ない。日本では、教育に対する投資はさほど有利なものではないのだ。
3%の利回りが見込まれる投資対象があれば、大学に進学せずに、それに投資をした方が有利だということになってしまう。これは日本では、大学教育はその程度の価値しかないということになる。とりわけ大企業への就職が確実でない大学に入学した場合にこのことがあてはまる。
つまり、日本では、大学教育が過剰に供給されているのだ。
(一橋大学名誉教授 野口悠紀雄)
2024-05-02T22:10:03Z dg43tfdfdgfd